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ひこうきの町岐阜県各務原市 そのルーツとは?

”ひこうきのまち”岐阜県各務原市 その歴史は大正から始まった

各務原市は古くから航空機産業が盛んです。

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大正6年(1917)に陸軍各務原飛行場が完成

 

国内で造られた試作機の試験飛行などが行われました。

 

試作機の試験飛行の結果は高く評価され

陸軍は乙式1型偵察機と正式名称をつけ、甲式4型戦闘機と共に陸軍初の国産制式飛行機になりました。

乙式1型偵察機の量産が各務原市の飛行機工場で始まり、昭和2年8月までに陸軍に300機

納入しました。

 

こうして各務原市の飛行機の文化が始まりました。

 

金融恐慌をなんとか乗り越え。。

昭和の金融恐慌の中、各務原の工場も非常に苦しい状況でしたが

陸軍からの92式戦闘機380機の注文によってなんとか乗り越える事が出来ました。

 

飛燕3,000機を生産

太平洋戦争当時には、各務原工場での生産は陸軍全体の飛行機の70%にも昇りました。

中でも開発から製造まで全ての工程を手掛けた陸軍三式戦闘機飛燕は約3,000機造られました。

 

しかし、空襲により各務原工場は壊滅 多数犠牲者も

 米軍硫黄島上陸と同時に本土への空襲も激しくなり、

昭和20年6月 各務原市は大空襲を受けました。

そして飛行機工場も壊滅的な状態。。

約120名もの犠牲者が出ました。

 

以降昭和27年に対日講和条約が発効するまでの7年間

航空機の生産が禁止されました。

 

7年間のブランクを経て岐阜工場再開

4人乗りの連絡機の生産が開始されました。

 

幾度の荒波を乗り越え

今も尚航空機産業が受け継がれているのです。

 

そんな歴史ある飛行機のまち岐阜県各務原市

 

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